2019/01

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春も待ち遠しいのですが、夏も待ち遠しいのです。
五稜郭公園内では、現在「箱館奉行所」の復元工事が進捗中。

今夏7月29日(木)に公開が予定されています。

節目には工事現場の見学会も開催されていて、市民の期待が高まるような様々な配慮がされています。
もちろん、工事事務所の仮囲いに進捗写真が掲示され、日常的な機運の盛り上げも工夫されています。
現在の写真は平成22年3月1日の状況です。

更に、
そもそも箱館奉行所とは何??という方も多かろうということで、極めてわかりやすい解説が同じ場所に掲出されています。念入りです。
散歩のついでに、立ち止まっては読んでいるうちにすっかり頭に入ってしまいました。
下の掲示板です。
写真は右から
「箱館奉行所庁舎古写真」-慶応四年撮影 (石黒コレクション保存会所蔵)
「五稜郭平面図」(函館市中央図書館蔵)
「五稜郭平面図」(部分)(函館市中央図書館蔵)
「五稜郭目論見図」(「五稜郭創置年月取調書」所収・函館中央図書館蔵)
ちょっと長いのですが、解説文を書き写させていただきました。
以下の通りです。

箱館奉行所について
 安政元年(1854)、日米和親条約に調印した徳川幕府は、箱館開港を決定したことにより、対外国との交渉や、北辺防備、さらには蝦夷地開拓に対応するため、箱館奉行所を設置することになりました。
 当初の奉行所は、函館山の麓、現在の元町公園付近にありましたら、港に近く、山からも見透かされるなどの軍事上不備な点があり、また生活環境上の問題もあって、内陸部の亀田の地へ移転することになりました。
 新役所は、フランスから紹介された中世ヨーロッパで発達した城塞都市の図面をもとに、五つの突角のある西洋式の土塁で囲まれた役所が考案されました。「五稜郭」と呼ばれました。
 築造工事は安政四年に着工し、郊外北側の役宅や郭内の建物を含めて、七年後の元治元年(1864)はほぼ完成することになり、箱館奉行小出大和守秀実が着任して「箱館役所」の業務が開始されました。
 こうして、蝦夷地の政治の中心地となった奉行所は、慶応2年(1866)までに全ての工事が完了しましたが、翌三年の大政奉還により幕府が崩壊したために、翌年に明治政府へ引き継がれて箱館裁判所・箱館府の庁舎として使用されました。
 この後、明治元年(1868)十月には榎本武揚率いる旧幕府脱走軍に占拠され、翌二年5月まで箱館戦争の舞台になりました。
 庁舎は幸いにも戦火を免れましたが、再び建物が使用されることなく、明治四年に北海道開拓使本庁の札幌移転に木材を使用する理由により、庁舎と付属建物の大半が解体されました。
 なお、この解体材については、その大半が民間に払い下げられ、函館市内で利用されたようですが、明治から大正時代の数度の大火により焼失し、現存するものはほとんど存在していません。