2018/05

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学会で長崎に来ています。

昼休みに、念願の日本二十六聖人記念碑「作品名は長崎26殉教者記念像」を見学しました。
原の城、病醜のダミアンとあわせて、舟越保武先生ご自身が最終講義の中で、3つの最重要作品としていたものです。これでようやく総てを見る事ができたのです。

隣接する記念館には、制作に先駆けて描いたデッサン4点が、保護ガラスに覆われる事無く、そのまま額装されて展示されていました。

びしぃびしっと音がするような力強い描線。
1960年に描かれたものですが、今しがたアトリエから持って来たような生々しさがあります。これが一番見たかった。
合掌、聖パウロ三木、聖フィリッポ、聖ルドビゴ茨木。
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舟越先生と函館とは深いつながりがあります。
奥さまが函館で一番のレストラン「五島軒」の出であることから、多くの作品が所蔵され展示もされているのです。

お祝いの時には、五島軒で夕食を、というのが函館人の素敵な習慣です。
だから、私も函館に赴任した記念に夕食を楽しみました。
なにも知らずに初めて訪れたその日、ホントに度肝を抜かれました。
当時は、その関係を知らなかったのです。

日本を代表する彫刻家の作品が何気なく、しかし、たくさん展示されていたのですから。
私は、学生時代、何度か作品講評を頂戴したのだから、師事した、と言っていいのでしょう。が、まさか、その作品に再会するとは。

話は、まだ終わりません。
そのご子息で現在の日本を代表する彫刻家 舟越桂作の母子像が、トラピスト修道院の聖堂にあります。作風の転機になる重要な作品です。
これも縁でしょう。
長らく、離れていた彫刻と再び相まみえる事になります。
一昨年まで、市内各所に彫刻を設置する「函館市パブリックアート」事業委員として、多くの作品の選考にあたりました。

だから、舟越先生の作品もパブリックアートとして函館に設置したいと強く思いました。

さて、炎天下、記念像の裏手の司祭館にまわると、
ビワがなっていました。

ビワにも思い出がある。
東京藝術大学彫刻棟と上野高校の境目に生えているのです。
この時期、実がなると、大学生と高校生の両方から手が出る。
その姿を目を細めて、にやにやしながら眺めていた舟越先生の姿を急に思い出してしまいました。
あのビワは甘かった。
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夕食によった居酒屋の店先で。ビワが売られていました。
もちろん、購入。
1パック100円で、ペットボトルに自分で支払う方式です。
長崎の繁華街のお店なのに。
ほおばりながら、今日あったこと、学生時代の思い出を知人に話しました。
舟越先生が、と言いかけて不意に涙が溢れてしまいました。
もう、亡くなられて随分と経ちます。
でも、素晴らしい作品は残る。
作品を通して、今でも、後輩を励まし続けている。
今日一日を振り返って、そう思うことにしたのです。
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